Dinosaur Pile-UP ストレート勝負の轟音に垣間見た地力と新鮮さ
Dinasour Pile-UP
Dinosaur Pile-UP JAPAN LIVE 2016 渋谷CLUB QUATTRO
先に白状しておくと、今回の来日公演で初めて彼らのパフォーマンスに触れた。もちろん、楽曲は幾つか聴いていたし、オルタナ、グランジといった90’sアメリカのサウンドを奏でているUKバンドであるという背景も知っていたのだが、もっと小綺麗にまとまっている今風のバンドなんじゃないか。言い方に語弊があるけれど、そんなイメージを持っていた。だが、この日Dinosaur Pile-UPが見せたのは、すがすがしいほどド直球なグランジサウンド。俺たちはコレがやりたくてやってんだ!というアティチュードがひしひしと伝わってきた。
冒頭の最新作『ELEVEN ELEVEN』からの楽曲たち「Red and Purple」、「Grim Valentine」という流れから既に、音源と比べて、とにかく圧がすごいことに驚かされる。どこか座りの悪い不穏なコード進行で鳴らされる轟音と、繊細でクリーンなギターサウンド、そして耳に残るメロディラインで形成される音像のコントラスト。あえて形容すればNIRVANA直系のグランジ・ロックそのものだ。ジム・クラッチリー(B)が地響きがするほどのベースラインでボトムを支え、マイク・シールズ(Dr)がシンプルながら強烈なビートを叩きつけるところに、マット・ビッグランド(Vo/G)はさらにエゲツないほど歪んだディストーション・サウンドと、時折刹那的なシャウトも交えて少しハスキーな歌声を乗せていく。
ジム・クラッチリー
とはいえ、彼らは単なる懐古趣味的バンドではない。マットがギターをかき鳴らして突入した「Peninsula」では、UKの香りたっぷりのキャッチーな美メロと、ジムとの美しいハーモニーを巧みに織り込みフロアを跳ばす。ギターソロではステージ最前まで進み出るサービスに大盛り上がりである。ときおり簡単な挨拶程度のMCをはさみながら、グランジのフォーマットに忠実ながら、どこかUKの香りがするメロディをフックにした楽曲たちを連打していく3人。ヘヴィ一本調子に陥るわけではなく、疾走感にあふれた「Might As Well」から「Bad Penny」で沸かせた直後に、マット一人による弾き語りで「Derail」を披露するあたりはさすがだ。ミュートを効かせたギターサウンドと優しい高音ヴォイス、ファルセットでじっくりと聴かせてくれた。
マット・ビッグランド
後半に連れてどんどん熱の上がる場内。マットは「手を掲げて」「一緒に歌おう」など、日本人でもわかりやすい呼びかけで煽る。オーディエンスも前方でもみくちゃになって暴れるファンもいれば、縦ノリにヘドバンしたり心地よく体を揺らしたりと思い思いに彼らのステージを楽しみながら、コール&レスポンスも行った「Nature Nurture」、重厚な中にもハネ感のあるリフが最高な「11:11」で怒涛の本編は終了。
アンコールでは日本語での「ワタシハマットデス」という今更の自己紹介や「ビール一杯クダサイ」と謎の要求で大いに沸かせたのち、キラーチューン「Peninsula」を再投下! 文字通り今日一番の熱狂で締めくくった。客電が点いても鳴り止むことのない手拍子とメンバーを呼ぶ声は、この日のライブがいかに強烈な体験として刻まれたのかを、何よりも表していたように思う。
マイク・シールズ
帰宅中、Dinosaur Pile-UP帰りと思しき女性2人組が「ベースみたいな低い音で、同じフレーズを弾いてるんだよね、そこが良い!」と新鮮そうに話しているのを見かけた。確かに彼らのサウンドには派手なソロも、ダンスロック風にボーカルの後ろを動き回るようなギターフレーズも、トリッキーなアレンジも、四つ打ちも、ほとんど登場しない。考えてみれば現在の音楽シーンにおいて、今の20代以下の大半にとって、リフとバッキング主体でしかも轟音という作りは新鮮なのだ。しかも単なる90’sの焼き直しというだけではなく、随所に真新しさとUKらしさも感じさせながらの真っ向勝負が、彼らのロック。コアな洋楽リスナーだけではなく、もっともっと多くの耳に届いていってほしい、いくべきバンドであると感じた。
この日目撃したDinosaur Pile-UPの姿から、80’sの華やかなシーンへのカウンターとしてNIRVANA、スマッシング・パンプキンズ、パール・ジャムといった、グランジ、オルタナのヒーローたちが登場した頃を想起してしまうのは、さすがに早計すぎるだろうか。
撮影=中野修也 文=風間大洋
Dinosaur Pile-UP