パク・チャヌク監督、ヤン・イクチュンらはヤン ヨンヒ監督の映画『スープとイデオロギー』をどう見たか? コメント&予告編が到着
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6月11日(土)公開のドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』の予告編が解禁された。
『スープとイデオロギー』は、『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『かぞくのくに』などで知られるヤン ヨンヒ監督による10年ぶりの新作。昨年2021年には、『DMZ 国際ドキュメンタリー映画祭 2021』でグランプリ ホワイトグース賞、『ソウル独立映画祭 2021』で実行委員会 特別賞受賞を受賞した作品だ。
年老いた母が、娘のヨンヒにはじめて打ち明けた壮絶な体験。1948年、当時18歳の母は韓国現代史最大のタブーといわれる「済州4・3事件」の渦中にいた。朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮へ送った。父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶をすくいとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。
解禁された予告編では、失われつつある母の記憶を描いたアニメーションや、『お嬢さん』『タクシー運転手 約束は海を越えて』などの音楽を手がけるチョ・ヨンウク氏の楽曲も一部使用されている。
また、本作をいち早く鑑賞した映画監督らのコメントも到着。『オールド・ボーイ 4K』の公開が控えるパク・チャヌク監督のほか、『息もできない』などで知られる監督・俳優のヤン・イクチュン、『82 年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)などの翻訳を手がける翻訳家・斎藤真理子氏、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏らが言葉を寄せている。
パク・チャヌク(映画監督)(『JSA』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』『お嬢さん』)
人々はヤン ヨンヒについて「自分の家族の話をいつまで煮詰めているのだ。まだ搾り取るつもりか」と後ろ指をさすかもしれません。しかし私ならヤン ヨンヒにこう言います。「これからもさらに煮詰め、搾り取ってください」と。
彼女の作品たちは、単純に、ある個人についての映画ではありません。普通は対立すると思われる二つのカテゴリーの関係について問い続ける映画です。その目録はとても長い。個人と家族、個人と国家、韓国と北朝鮮、韓国と日本、資本主義と共産主義、島と陸、女と男、母と父、親と子、新世代と旧世代、21世紀と20世紀、感情と思想、そして何よりもスープとイデオロギー。
ヤン ヨンヒの母親、この老いた女性一人の顔を見つめながら、私たちはこれらすべてについて省察することができます。映画『スープとイデオロギー』は、ヤン ヨンヒのこれまでの作品のように、私たちがいつまでも噛み締めなければいけない思考の種を与えてくれます。ヤン ヨンヒは引き続き煮詰め搾り出し、私たちはこれからも噛み締めなければなりません。
ヤン・イクチュン(俳優・映画監督)(監督・出演『息もできない』、出演『かぞくのくに』『あゝ、荒野』、Netflixドラマ「地獄が呼んでいる」など)
オモニ(母)のレシピ通りにつくったあのスープの中には、どんな言葉でも語り尽くせないすべてが込められている。
斎藤真理子(翻訳家)
この映画は記憶に関する映画でもある。一人の人が持ちつづけた記憶も、持ちきれずにあふれた記憶も歴史になる。歴史は一杯の巨大な器に入ったスープなのかもしれない。一人ひとりがその中に溶けているのか、一人ひとりの中にその器があるのか。どちらであるにせよ、このスープを大切に飲んで、飲んだことを記憶しよう。
安田菜津紀(認定 NPO 法人 Dialogue for People 副代表/フォトジャーナリスト)
オモニは少しずつ、「忘れて」いく。押し込めてきたあまりに凄惨な記憶を、誰かと分かち、託していくほどに。「もう忘れてもいいよ」と言えるほど、オモニの、人々の背負ってきた歴史を、私は知らなかった。そして、「知らなかった」で終わらせたくない。
キム・ウィソン(俳優・映画監督)(映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』、Netflixドラマ『ミスター・サンシャイン』『アルハンブラ宮殿の思い出』)
新しい家族——映画『スープとイデオロギー』は、ヤン ヨンヒ監督の「家族ドキュメンタリー映画 3 部作」の最終章だ。『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』で東京・大阪・ピョンヤンに分かれていた家族は、大きな変化を経験する。日本人・荒井カオルの登場である。
真夏の大阪にスーツを着て、汗をかきながら現れた彼は、オモニ(母)が作ってくれた鶏スープを食べる。彼はオモニのレシピに沿ってスープを作り、オモニをもてなす。複雑な歴史をもつこの家族の中に、この日本人は一歩一歩溶けこんでいく。