新国立劇場「イェヌーファ」が名演で開幕

レポート
2016.3.1
新国立劇場「イェヌーファ」 (撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

新国立劇場「イェヌーファ」 (撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

ヤナーチェクの代表作、充実の舞台

2月28日(日)、ついに新国立劇場では初となるヤナーチェクのオペラ、「イェヌーファ」が開幕した。控えめに申し上げても名演であった。初日の上演を体験された方にはぜひ二度、三度とご覧いただきたいし、なにより未見の方はぜひともこの機会を逃されぬよう、とはじめにお伝えしておこう。充実した出演陣が作り出した音楽も圧倒的なのだが、隅々まで作りこまれた演出によって繰返し見られ読み解かれるべき重層的な芝居としても魅力的なものとして成立していることはいくら強調しても足りないほどなのだ。

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

明かりが消された劇場の闇に光が挿すと、そこで展開されるのはバッグを抱えて狭い部屋に押し込められ、あてもなく歩きまわって壁に行きついては立ち止まる、もうどこにも行けない黒衣の女の、いつまで続くともわからないパントマイムだ。そう、この舞台は「罪を犯して収監されるコステルニチカの回想」として構成されている。いつまで続くともわからない黙劇を観るうち、彼女が「どこで自分は間違えたのか」「やり直すことはできないのか」と繰返す、答えなどあるわけもない物思いに観衆が戸惑いながら同調したところで、ようやく音楽が始まる……

このように始まるオペラは、常にコステルニチカの視点、視野を示すかのように「白い部屋」の中で展開される。ときおり背景がのぞいて季節を示し(第一幕は夏、第二幕は冬、そして第三幕では春を迎えている)、またドラマに応じて大きさが変えられるだけのシンプルな「部屋」は、劇中の登場人物たちをいつでも観察されうる状態に置くためのものだ。たとえば第一幕の群衆には、ト書きには書かれていない村長夫妻とその娘カロルカが登場させられている。注意深く見れば、ここでもうカロルカがシュテヴァへ熱い視線を送っていることが見て取れるだろう、その恋心は最悪の結末を迎えることになるのだけれど。このような仕掛けは他にも多々用意されており、そのためにたとえばバレナとヤノのふたりはその出番以上の存在感を示している。

先日の紹介記事では「イェヌーファ」を「二人の男がヒロインを取りあう物語」ともとれる、と書いたが、この演出で見る「イェヌーファ」は母娘二つの世代のヒロインたちの物語だ。いや、要所で存在を誇示する(割に顧みられない)ブリヤ家の祖母まで入れて、三世代の妻たちのドラマと見てもいいだろう。もちろん、ラツァとシュテヴァの兄弟は重要な役どころだが、女主人とコステルニチカ、そしてイェヌーファの、血縁のない三人の女がいわば「ねじれた縦糸」としてこの舞台を貫いているのだ。

パンフレットに掲載されたクリストフ・ロイ(演出)のインタビュー全文によれば、この舞台を作り上げる際にはコステルニチカという重要なキャラクターを原作者ガブリエラ・プライソヴァーによる小説も参照し、そこに描かれた彼女の若き日にまで遡って造形しているという。彼女は放恣な暮らしの末に亡くなったイェヌーファの父との生活を悔み、血のつながらない娘にはその轍を踏ませたくないと強く願う。しかし教会の世話役として強く規範意識をもって生きる彼女は、大事に抱えたそんな思いも価値観も、自ら壊してしまうことになる。彼女が大切な娘の結婚を祝う場面でも変わらず黒衣に身を包み、しかも大きなバッグを手放さないのは、逃げることのできない彼女の過去、そして後悔そのものこそが大切であるかのように抱えこんでしまっていることを示すのだろう。

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

そう、彼女は劇中を通じて変わらない、もう変わることができない人物だとこの舞台は執拗に示してくる。この物語が始まる前の時点で、すでにイェヌーファが陥っている困難に対し後手に回ってしまった彼女は、劇中で何をしても事態を良い方に進められない。その行き詰まってしまった人生への苦悩を、娘への、そして自分への愛をジェニファー・ラーモアが見事に演じ、歌ったことにどれだけの賞賛を贈ればいいのか、私にはわからない。ほとんどの時間舞台にいてドラマを牽引した「彼女」は間違いなくこのオペラの主役だった。第二幕に彼女が描き出した暗い内面のドラマがあればこそ、フィナーレにおける赦しもまた輝いたのだと強く感じている。

変われないコステルニチカに対して、もうひとりのヒロイン、イェヌーファは鮮烈な赤いドレス、そして病床での寝間着、質素な婚礼の衣装と、幕ごとに衣装が変わっていく、彼女自身が変わり得ることを示すように。婚礼の場面で周りの手によって少しずつ衣装が変えられていくことも、彼女と社会との関係の変化を示すものだろう。

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

しかしこのオペラの中で描かれる彼女の変化は、なにかを失うことによってもたらされるものがほとんどだ。彼女は劇中で若い盛りの美貌を損ねられ、そのためもあって結婚相手を失い、そして最後には我が子を失い、その赤子を殺したことで母も失う。このようなドラマの中でそのヒロインを歌い演じるとは声の力に頼ることなく、繊細な演技と歌唱を要求され続けるということだ。そしてミヒャエラ・カウネは、この難役を美しく歌い、演じきった。とても過酷な試練の中で、悲しみに我を失いながらも成長するヒロインは、時として弱い存在に見えただろうと思うけれど、最終的に母を赦し、ラツァという会いしうる人を得て自らの未来へを進みだすその力強さは音楽の輝かしさと相まって強い印象を残した。

オペラ全編を通じてみても、コステルニチカの告白をうけて彼女が語り始めた場面は特に忘れ難い瞬間となった。罪の告白を終え、イェヌーファに赦されてコステルニチカが出て行くと「部屋」は解体され、先の見えない暗闇の前にイェヌーファとラツァだけが残され、そして愛を交わした二人は闇に向かって歩み出す。この最後の瞬間に、このオペラは「コステルニチカの過去に囚われた物語」から「イェヌーファが選びとる未来の物語」へと姿を変えた、この上なく厳しく、しかし鮮烈なコントラストによって。困難な未来に対して、それでも前へと進んでいく意志を強く示すドラマが立ち上がり、圧倒的に音楽が輝きだすその瞬間はまさに劇的、特別なものだった。「控えめに申し上げても名演」とはじめに申し上げたけれど、この舞台は私にとっては衝撃的な上演だった、と言わせていただきたい。

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

最後に、音楽についてもコメントさせていただこう。個人的な意見だが、「これ以上の「イェヌーファ」を聴く機会がこの先にあるのか」と感じるほどの充実を、今回の新国立劇場の上演は示したように思う。

上述のとおり、ふたりのヒロインは素晴らしい仕事をした。そしてラツァ役のヴィル・ハルトマン、ブリヤ家の女主人役のハンナ・シュヴァルツはベルリンでの上演以来のチームとして演じてきたキャラクターを見事に描きだした。また、今回が彼にとって最初のシュテヴァ役となったジャンルカ・ザンピエーリもこの残念な役どころを魅力的に演じ、歌ってくれた。

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

(撮影:寺司 正彦/提供:新国立劇場)

そしてオーケストラ・リハーサルの時点でも相当の音を聴かせてくれていたトマーシュ・ハヌスと東京交響楽団は、先日の舞台稽古見学会と比べてもより一層の充実した演奏を聴かせてくれた。冒頭からフィナーレまで、緩むことなくヤナーチェクのスコアをここまで魅力的に聴かせてくれたことには感謝しか申し上げられない。幕が進むごとにオーケストラ・ピットに登場する指揮者への拍手が高まっていたから、場内の多くの皆さまも同様の気持ちだったろうと思う。ヤナーチェクのミニマル的な音符が表現へと姿を変え、民族的なダンスがヒロインの焦燥感を煽る。この多様で色彩的なスコアを、どこまでも表現に満ちた音楽にしてみせたこのような演奏に対して、「作品の真価を示した」としか評せないことは実に歯がゆい限りだ。

そして驚くべきは、これだけの成果を示した28日の上演はまだ初日でしかない、ということだ。先月末の稽古始めからひと月にわたって仕上げられてきた注目のオペラは、幸いな事にこの後四公演を残している。初日の上演を受けてさらなる練り上げが進められるだろう新国立劇場の「イェヌーファ」は、オペラファンだけのものではない、演劇ファンにも必ずや楽しんでもらえるものとなっている。だからこそ、ひとりでも多くの方に、一度と言わず何度でも体験していただきたい。私は新国立劇場でそれだけの舞台が開幕したことを心から喜び、今もまだ耳に残るヤナーチェクの音を聴き続けている。


 
イベント情報
新国立劇場[新制作] 「イェヌーファ」

レオシュ・ヤナーチェク作曲 歌劇「イェヌーファ」
全三幕 チェコ語上演・字幕付き
●日時:
2016年2月28日(日)、3月5日(土)、11日(金) 14:00開演
2016年3月2日(水)、8日(火) 18:30開演
●会場:新国立劇場 オペラパレス
 
●指揮:トマーシュ・ハヌス
●演出:クリストフ・ロイ
●美術:ディルク・ベッカー
●衣裳:ユディット・ヴァイラオホ
●照明:ベルント・プルクラベク
●振付:トーマス・ヴィルヘルム
●演出補:エヴァ=マリア・アベライン
●合唱:新国立劇場合唱団
●管弦楽:東京交響楽団
●キャスト:
ブリヤ家の女主人:ハンナ・シュヴァルツ
ラツァ・クレメニュ:ヴィル・ハルトマン
シュテヴァ・ブリヤ:ジャンルカ・ザンピエーリ
コステルニチカ:ジェニファー・ラーモア
イェヌーファ:ミヒャエラ・カウネ
粉屋の親方:萩原潤
村長:志村文彦
村長夫人:与田朝子
カロルカ:針生美智子
羊飼いの女:鵜木絵里
バレナ:小泉詠子
ヤノ:吉原圭子
●公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/opera/jenufa/


 
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