三菱一号館美術館『ラファエル前派の軌跡』展開幕レポート ロセッティ、ミレイがターナーとつながる展覧会
美の基準は人それぞれだから、ロセッティが描く女性像に「これも美女?」と戸惑う人もいるかもしれない。男性的な輪郭や逞しい首など、たしかに日本のアイドルや女優には見慣れない特徴がある。しかし、実際にその作品の前に立ってみれば、有無を言わさぬ力づよい美しさを体感できるだろう。
2019年3月14日(木)~6月9日(日)にかけて、三菱一号館美術館で展覧会『ラファエル前派の軌跡』が開催中だ。美術批評家であり、自身も素描を残すジョン・ラスキンの生誕200年を記念した展覧会で、ラファエル前派のはじまりから、アーツ・アンド・クラフツ運動までの変遷を紹介している。展示されるのは、油彩画や水彩画、素描、ステンドグラス、タペストリ、家具など約150点。
展示室の一部は、写真撮影が許可されている。
現在、三菱一号館美術館となっている建物は、もともとイギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより建てられたもの。館長の高橋明也氏は、同館とイギリスには縁があり、過去にも英国美術を紹介する展覧会を行なってきたことに言及。さらに本展が、ラスキン生誕200年を記念したものであり、ターナーやラファエル前派との関係を紹介する点において「オリジナルなものになる」とコメントした。
三菱一号館美術館 館長 高橋明也氏
また、展覧会監修者のクリストファー・ニューオル氏は、本展の目的を「ビクトリア女王の1837年から1901年の在位中に、イギリスの芸術界で起こった、並外れたルネサンスを探究すること。とりわけ、ラファエル前派同盟が結成された1848年から、その後の時代を考察すること」だと語った。13日に開催されたプレス内覧会より、見どころを紹介する。
(中央)本展監修者クリストファー・ニューオル氏(美術史家)
ターナーとラファエル前派を繋ぐラスキンの目
全5章で構成される展覧会は、「ターナーとラスキン」と題された章から始まる。展示会場でまず目に飛び込んでくるのは、ターナーの《カレの砂浜――引き潮時の餌採り》だ。
ニューオル氏によれば、ラスキンは当時イギリスで最も大きな影響力を持っていた批評家であり、同時に作家としても知られていたという。そして、風景画の巨匠J.M.W. ターナーを非常に尊敬し、まだ評価が分かれていたターナーを、生涯にわたり擁護する立場を貫いたという。ラスキンはラファエル前派同盟の支援者でもあり、精神的指導者でもあったことから、この展覧会は、ラスキンを軸にターナーとラファエル前派を紐づけて紹介している。
ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー《カレの砂浜――引き潮時の餌採り》1830年 油彩、ベリ美術館
第1章では、ラスキンが日常的にたしなんでいたであろうデッサンも紹介されている。木や山、岩肌や町を描いた素描が展示される中、《渦巻レリーフ――ルーアン大聖堂北トランセプトの扉》と題された絵が観る者の足をとめていた。
ジョン・ラスキン《渦巻レリーフ――ルーアン大聖堂北トランセプトの扉》1882年ラスキン財団(ランカスター大学ラスキン・ライブラリー)
21.3cm×17.2cmの平面作品だが、そこにレリーフの現物があるかのような存在感。ルーアン大聖堂が、将来、乱暴な修復でその素晴らしさを失ってしまわないよう、ラスキンはレリーフの写真を残させ、また石膏模型を作らせたのだそう。この絵は、模型をもとに描かれたものと考えられている。
展示風景
ラファエロ以前を目指すラファエル前派
第2章のタイトルは「ラファエル前派」。
ラファエル前派同盟(Pre-Raphaelites Brotherhood)は、1848年にロンドンで、ロセッティ、ハント、ミレイを含む7人のメンバーにより結成された。当時の英国の美術アカデミーは、イタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロを創始者とし、ラファエロやミケランジェロらを模範とする教育をしていた。しかし、美術学校の同級生であったグループのメンバーたちは、アカデミーの良しとする表現や、新しい表現を認めない方針への反発心から、ルネサンスよりさらに前(=ラファエロ以前)の芸術を目指すこととした。
特徴は、写実的な作風や細部へのこだわりなどがあげられる。初期は、聖書を絵のテーマにしていたことも特徴だ。「ラファエル」とは、イタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティ(伊語表記:Raffaello Santi)のこと。英語圏の一般的な表記がRaphaelとなり、英国発祥のグループである「Pre-Raphaelites Brotherhood」の読みもラファエルとなっているのだそう。
「自然に忠実にあれ」を体現している例として、ジョン・エヴァレット・ミレイによる油彩画《滝》をみることができる。写実的に描かれた岩や水流、奥には緑がみえる。しかし目がいくのは、画面右手の女性の姿だ。
「エフィ・ラスキンが編み物をしている光景が、親密さと愛情とともに描かれています。ミレイが、1853年にラスキンと妻のエフィとともに、スコットランド滞在中に制作したものです」とニューオル氏。
このスコットランド滞在の翌年に、エフィはラスキンと離婚し、さらに翌年に、ミレイと再婚している。
ジョン・エヴァレット・ミレイ《滝》1853年 油彩、板 デラウェア美術館
《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》は、神話の女神をモチーフにしたもの。右手にもつのは、人の心を変えられる矢だとされる。赤い唇、露わになった肌や胸元、ロセッティが描く女性の特徴でもある豊かな髪が、画面に大きく、色鮮やかに描かれている。
甘美な空気を盛り上げる画面手前のスイカズラ、背景の薔薇だが、ラスキンは、これらの自然描写の粗雑さに落胆し、批判した手紙を書いているのだそう。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》1863-68年頃 油彩、カンヴァス ラッセル=コーツ美術館
ラファエル前派のその先へ
第3章「ラファエル前派周縁」と続く第4章「エドワード・バーン=ジョーンズ」では、ラファエル前派の基本的な考え方の影響を受けた、第2世代の画家たちが紹介されている。エドワード・バーン=ジョーンズの《嘆きの歌》は、日本初公開作品。
エドワード・バーン=ジョーンズ《嘆きの歌》1865-66年 水彩、ボディカラー、カンヴァスに貼った紙 ウィリアム・モリス・ギャラリー
《嘆きの歌》には、新古典主義への衝動がみてとれる点において、同じセクションに展示されるフレデリック・レイトンの《母と子(サクランボ)》と共通しているという。前者における神殿のような雰囲気、後者におけるギリシャ彫刻のようなスカートの描写に注目したい。
ラスキンは、バーン=ジョーンズにも大きな影響を与えている。バーン=ジョーンズが、大英博物館に所蔵されるパルテノン神殿の大理石像を熱心に研究したのも、ラスキンのアドバイスによるものだそう。
ウィリアム・モリスと生活と芸術
本展は、第5章「ウィリアム・モリスと装飾芸術」で締めくくられる。
モリスは、バーン=ジョーンズとオックスフォード大学の同級生であり、2人はともに聖職者を志していた。しかし大学を中退し、芸術家を志したのだそう。モリス・マーシャル・フォークナー商会(1875年以降、モリス商会)による最初の壁紙であり、モリスとフィリップ・ウェッブの共同作業による《格子垣》やタペストリー、ステンドグラスなどが展示される。
(中央)《サセックス・チェア 》a 肘掛け椅子1863年、(左手壁)
3つ並ぶ《サセックス・チェア》のうち中央の肘掛け椅子は、おそらくロセッティがデザインしたものだとか。産業革命により、安価で粗悪な商品が出回るようになった社会への反動として、「生活と芸術を一致させる」という理想を掲げたメンバーの試みは、のちに「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれるようになった。
機能的であり、なおかつ美しく。「デザイン」という言葉の考え方の、はじまりがここにある。
ドレスコードは、ヴィクトリア朝×S.ホームズ!
三菱一号館美術館は開館9周年を記念して、4月6日(土)に21時まで開館時間を延長し、ヴィクトリア朝やシャーロック・ホームズ風など、思いおもいのブリティッシュ・スタイルで鑑賞を楽しめるイベント「紳士淑女のブリティッシュナイト」(18時~21時)を企画している。
ミュージアムショップには、オリジナルグッズがそろい、カフェ・バーにも展示にちなんだメニューが用意されている。ぜひ美術鑑賞にプラスαの楽しみをみつけてみてはいかがだろうか。
ミュージアムショップには、モリスやラスキンのイラストがあしらわれたコラボ商品も。
ニューオル氏の指摘のとおり、ラスキンは1819~1900年、ヴィクトリア女王は1819~1901年と、限りなく近い時間を生きている。その点もふまえ、ラスキンを軸にヴィクトリア朝時代の英国美術の変遷をたどることに、興味深さを感じられる展示だった。キャッチコピーの通り“美しさだけじゃない”、思想や理念にふれる展覧会『ラファエル前派の軌跡』展は、6月9日(日)までの開催。