角野隼斗と亀井聖矢は音楽シーンになにを刻んだか――“旬”の煌めきと飛躍に満ちた二台ピアノリサイタルを振り返る
リハーサルの様子
ホールに足を運んでまず印象深かったのは、入場の際に受け取るプログラムのインパクトだ。奏者2人の美しくもクールな姿が大写しになっている。心なしか、プログラムを手渡すスタッフの扱いも丁寧で、表面に写っている角野とバチッと目が合うような印象。見開きにするとクールな表情の亀井ともまたバチッと目が合う仕掛け。なんだかすごい。
プログラムの全体を俯瞰しておこう。
亀井聖矢:2台ピアノのための共奏曲
ラヴェル:水の戯れ(角野隼斗ソロ)
ラフマニノフ:組曲第2番 作品17
マルケス(亀井聖矢編曲):ダンソン第2番
バラキレフ:東洋風幻想曲「イスラメイ」(亀井聖矢ソロ)
角野隼斗:エル・フエゴ
亀井聖矢(角野隼斗編曲):パガニーニの主題による変奏曲
意外にも、もともと2台ピアノのために書かれたクラシック作品としては、ラフマニノフの「組曲」しかない。それ以外は、2人それぞれの編曲やオリジナル作品である。これこそまさに、角野×亀井にしか組めないプログラムだ。先に、2人の共通点として「発信力」を挙げたが、より重要でユニークなのが、角野も亀井も作曲や編曲といった創造的活動にも力点を置いているところだ。コンポーザー=ピアニスト(作曲家であり演奏家でもある)という音楽家のあり方は、19世紀までは当たり前だったのが、20世紀以降は「分業」が進んだ。もちろん、現在も創作と演奏の二つの柱を持つピアニストは少なくはないが、多数派ではない。キラキラと第一線で活躍する若手の両者がともに作曲家でもあるということが、とりわけ「クラシック音楽」とカテゴライズされた場合には、とても眩しくユニークなのである。
角野の編曲による「キャンディード序曲」は、原曲はオーケストラ作品である。シンフォニックで華やかなアレンジにより、2台ピアノの演奏でも驚くほど違和感がなく、コンサートのオープニングを飾るにふさわしいアレンジだ。角野の輝かしい高音域と、亀井のつぶやくような内声の音色が見事な立体感を生んでいた。
角野隼斗
亀井はこの春卒業を迎えた桐朋学園大学で作曲も積極的に学んだ。「2台ピアノのための共奏曲」は、極めて演奏効果の高い楽しい作品だった。第1楽章は旋法的な響きと滑舌の良いリズムの刻み(亀井)と、和音の形で紡がれていく主旋律(角野)によって、明るい曲想を織りなす。第2楽章は半音階的・全音階的で霧のたちこめるような音響を生み出すが、第3楽章のスケルツォでふたたび第1楽章の旋法的な響きが戻る。今度は1st(角野)と2nd(亀井)の役割は第1楽章とは異なる。グルーヴィーかつクラシカル。リスト的かと思えばストラヴィンスキー的でもあり、そうかと思えばショスタコーヴィチ的な音響も繰り出され、多層的でヴィルトゥオージックな作品だ。東京芸術劇場の大ホールで聴くにふさわしい一曲だった。
角野のソロによる「水の戯れ」は、硬質な響きと温かみある音色とを一つのフレーズに折り込ませながら、比較的自由な緩急によって紡ぎ出された。美しく穏やかでエレガントであった。
前半の締めとなるラフマニノフの「組曲第2番」は、非常に音数の多い作品であるが、2人のアタックはずれることなく、声部がよく整理されて気持ちよく届く。まるで長年組んで活動してきたデュオのように、緩急やダイナミクスも息が合う。互いの音を聴き合う力、流れを感知する力、予測しながら音楽の流れを果敢に作る力が冴えているのだろう。圧巻のパフォーマンスであった。