中村芝翫が挑む舞台『リア王』老いた王が人間として成長していく物語<稽古場写真あり>
『リア王』稽古場より
2026年9月6日(日)より22日(火・祝)まで新橋演舞場で上演される、中村芝翫主演の『リア王』。芝翫にとって『オセロー』、『夏の夜の夢』に続く3作目のシェイクスピア劇だ。四大悲劇の中で最高峰と称される本作に挑む。演出は、過去2作につづき井上尊晶が手掛ける。長年にわたり、蜷川幸雄の作品を支えた手腕を発揮する。
芝翫のコメントとともに、先ごろ公開された稽古の模様をお届けする。
■井上尊晶と3度目のタッグ
稽古開始直前、芝翫は少し緊張したそぶりをみせ、「いつもの前説、やってくれる?」と共演者に声をたのむなどしていた。その1秒後には「1回でもやったことありましたか!?」との返答。無茶ぶりだったことが判明! 記者たちも巻き込んで、笑いが場の緊張を解いた。
稽古がはじまる直前は、活気があり和やかなムード
「ふだん歌舞伎では、気心知れた顔ぶれで芝居を創ります。(出演者が)混成の公演では、初めてご一緒する方々との芝居作りになりますが、今回いいチームができているんじゃないでしょうか」
2011年、芝翫は蜷川幸雄演出の舞台『たいこどんどん』で主演を勤め、その演出補が井上だった。井上の演出で舞台に立つのは、このたびで3度目。
「『オセロー』の時は、初めてのシェイクスピア劇に無我夢中でした。『夏の夜の夢』は楽しくできたのですが、今回、尊晶さんは今までと比べて、特に演出が細かいんじゃないかな」
はじまると、老王の風格をみせる芝翫
芝翫の名前を襲名して10年。初舞台からは56年。
「役者として長くお仕事をさせていただいていると、だんだん保守的と言いますか、芝翫という役者のテリトリーの中で、芝居をあたためているようになっていきます。そこで尊晶さんが、新しいページを1枚めくってくださるような感じがします。彼の演出を道しるべに、リア王っていう山を登っていっているのではないかな。もちろん、納得いかないところは意見も交換するし、『こういうところはどうなんだろう』って聞くことはありますよね。信頼をしています」
演出の井上尊晶
稽古には、翻訳の石井美樹子も同席している。
「本読みでは、学校の授業みたいに皆で机を並べ、石井先生から、シェイクスピアがいた時代の文化や社会的な背景、言葉の意味を解説いただきました。たとえば道化も、単なる面白おかしい存在ではなかったそうです。素性の知れない、でも学識に優れた賢い人を道化としていて、王は道化に絶対に反抗しなかったそうです。面白いですよね! 」
翻訳の石井美樹子
■描くのは耄碌の末路ではなく、人間としての成長
石井の翻訳による『リア王』が、舞台で上演されるのはこれが初めて。
「最初に台本を読んだ時は、このせりふを、心で感じ肉体から出てくる言葉として言えるだろうかとも感じました。でも、それは歌舞伎にも近い感覚。古くを言えば(曾祖父の)五代目歌右衛門に、色んな作品をお書きになった坪内逍遙先生にはじまり、僕の世代であれば小田島雄志先生、『オセロー』と『夏の夜の夢』での河合祥一郎先生の翻訳など、実に様々な方が、シェイクスピアの翻訳をされています。一字一句に、翻訳された先生の意味や思いがあるわけで、石井先生はそれを丁寧に教えてくださる。難しい言葉もせりふの内面を噛み締めて、いかに自分の体から発する言葉に換えられるか。その作業は苦しいけれど、楽しいもの。この『リア王』を伝えなければ、という責任も感じます」
左から道化役の小倉久寛、リア王役の中村芝翫、ケント伯爵役の二反田雅澄。芝居中以外は、とにかく和やか。
石井は、原文や言葉の解説に留まらず、『リア王』を演じる手がかりも渡している。
「国王だったリアが、老いて落ちぶれていく話だと思われがちですが、石井先生は『そうじゃないんですよ。リアは成長していくんですよ』と。嵐の場面も、道化を気遣うんですよね。少し前の“国王陛下”だったリアなら、絶対にそんなことはしなかったでしょう。長女と次女に裏切られ、厳しい境遇におかれ、人間としての学習を重ね、成長していく話なんだと。とても面白いですよね。演じていても楽しい部分です」
■着物姿のリア王の行き着く先
公開された稽古は、大きく2つの場面。そこには2組の親子が登場する。
最初の場面では、老いたリアが、3人の娘に愛情を言葉で示すよう求め、それに応じて国土を分けようとする。長女ゴネリル(松下由樹)と次女リーガン(朝月希和)が競うように父への愛を言葉にすると、リアはこれに満足する。しかし末娘コーディリア(井上小百合)からは「何も」という答え。これにリアが激怒するのだった。
長女ゴネリル役の松下由樹
次女リーガン役の朝月希和
末娘コーディリア役の井上小百合
老害という言葉が認知される現代においては、松下と朝月による姉妹は、決して争いを好んでいるわけではないことがうかがえた。ある意味で、大人の対応に思われるのだ。しかし井上の演じる末娘は飾れない、事情を理解した上でも、おもねることができない、真っすぐな心の持ち主。それが、老いた父の怒りをかう。
憤りの中に、一抹の悲しみが滲むようだった。
もう一組の親子は、グロスター伯爵(村田雄浩)と2人の息子だ。
エドマンド役の大野拓朗
庶子のエドマンド(大野拓朗)は、嫡子の兄エドガー(三浦涼介)との扱いの違いから、父と兄に憎しみを抱く。父の領地と権力を手にしようと企むのだった。稽古前には明るく共演者と言葉を交わしていた大野が、芝居に入ればエグみのある芝居で、不穏な物語を予感させた。
リアの家臣グロスター伯爵役の村田雄浩
グロスターもエドガーも、決して騙されやすい人間というわけではなさそうだ。エドマンドの言葉を、そのまま信じる純粋さが仇となり……。
右からエドガー役の三浦涼介、エドマンド役の大野拓朗。
嵐の荒野の場面では、娘に裏切られたリアが、道化(小倉久寛)、身分を隠して仕えるケント伯爵(二反田雅澄)とさまよう。行きついたあばら家で、狂人に身をやつしたエドガーと出会うのだった。
芝居がはじまると、3人の空気がガラリと変わった。
先ほどまでのエドガーから一転。息をのんだ。
芝翫は、その異様な存在を受け入れるように抱きとめ、物語の大きなうねりに拍車をかけていた。
「1605年頃に書かれた作品です。親子関係、家督のことや老害など、今の世にも通じるテーマで、すごい作品だなと思いますね。リア王と違い、うちは3人の息子です。3人の息子に、ああいう扱いをされないように気をつけなきゃいけません(笑)。本自体が、とてもしっかりしていて、言い訳がきかない。そこがちょっと辛いところですね(笑)」
■新橋演舞場で、着物のシェイクスピア
いくつもの劇場で、さまざまな『リア王』の上演が続いている。その中でも本公演のオリジナリティの根幹と言えるのが、歌舞伎俳優である芝翫の存在だ。和風の衣裳となる趣向にも、この座組だからこその説得力が生まれる。
「着物になったことには、僕も驚きました。ただ、時代を江戸に動かすわけではありません。廃墟となった新橋演舞場の舞台をイメージするとお聞きしています。花道のある新橋演舞場ならではの『リア王』になるのではないでしょうか」
歌舞伎界から、オールバニ―公爵役に中村松江も出演。
嵐の中の芝翫の長台詞は、稽古序盤にもかかわらず、暴風雨に巻き込まれるような力があった。唄うようなせりふでも、揺るぎない輪郭をもって言葉を伝える。それは歌舞伎の芝翫に重なるものでもあった。
芝翫本人は、「歌舞伎でも翻訳劇でも、映像でも、演じる上で自分を切り替える意識はありません。でも僕が歌舞伎役者であることは、どこかに出てしまうでしょう。だって、どこを切っても血肉がそうなんだから」と笑っていた。
「『リア王』は、『四大悲劇』のひとつです。観終わったときに『スカッとした!』と言っていただける芝居ではありません。でも、リアという等身大のひとりの人間、昇り詰めてきた国王が、老後を安泰に過ごそうと思ったのに、どんどん予期せぬ方向へいく。そこに表れる人間の性みたいなものを観ていただけたらうれしいですね」
■襲名から10年。変わる時代。
芝翫の身近な状況も、社会も、10年で大きく変化した。襲名前には父・七世芝翫、十八世中村勘三郎、十世坂東三津五郎との別れが続き、兄の中村福助の大病もあった。3人の息子との4人同時襲名から5年目に、コロナ禍を経験した。
「歌舞伎界だけでなく、世の中は、体制もすごく変わり、その中で世代交代もちゃんとされてきている。ここ10年で、本当に世の中が変わったと思うんです。時代についていくのは大変だなと思う時もあります。それというのも、昔の方が時間はもっと流暢に、ゆったりと豊かに流れていた気がするんです。笑ったり怒ったりすることも、人と会って生まれるものだったでしょう。もっと直接的なところで五感を働かせていたんです。芝居だけじゃなく、スポーツ観戦やコンサートも、足を運んでいただき、観て、肌で感じられることにこそ価値がありました」
2009年に公開された紀里谷和明監督の映画「GOEMON」(織田信長役)では、CGを駆使した撮影を経験している。
「衣裳あわせと聞いて、いってみたら全身をスキャンし、次に行ったときにはCGの自分ができていたんです。クロマキーの前で『ここは崖です』と教えていただき、想像でお芝居をして。すごい技術だと思いましたが、『いつかは役者はいらなくなるんじゃないか』、『僕にはこのやり方のセンスが足りないな』など考えたりもして。それが今や、生成AIです。僕には、どれがAIかの見分けもつきません。それでも、やっぱり生で観ていただくのが一番だと思うんです。呼吸を感じてもらい、心で何かを思ってもらいたい。たくさんのお客さんに劇場に戻ってきてほしいですし、新しいお客さんにも来ていただきたい。これからも観てほしいですよね。そんな気持ちで、僕もみんなも頑張っています」
会場となる新橋演舞場は、空襲による焼失、復興、昭和の建て替えを経て、昨年100周年を迎えた。
「1605年から残りつづけるシェイクスピアの作品を、101年の歴史をもつ素晴らしい劇場でやることを誇らしく思います。全部が揃った中に、僕はふっと立つわけです。負けてはいられませんよね」
柔らかい口調の中に、役者の意地ものぞくような言葉だった。襲名10年という節目に、“芝翫のテリトリー”をいかに踏み越えるのか。新たな翻訳が俳優の身体を通して、どんな『リア王』をみせるのか。9月6日の開幕に期待が高まる。
なおイープラスでは、9月12日(土)夜の部に石井美樹子、9月20日(月・祝)昼の部に井上尊晶を講師に迎えた、開演前レクチャー付き特別観劇会も予定されている。
取材・文・撮影=塚田史香
公演情報
ゴネリル:松下由樹
エドガー:三浦涼介
リーガン:朝月希和
コーディリア:井上小百合
エドマンド:大野拓朗
オズワルド:大堀こういち
コーンウォール公爵:駒井健介
オールバニ―公爵:中村松江
ケント伯爵:二反田雅澄
道化:小倉久寛
グロスター伯爵:村田雄浩
※詳細は、販売ページを必ずご確認ください
■日程:2026年9月12日(土)夜の部
講師:石井美樹子先生(本公演の翻訳を担当)
【スケジュール】
15時 受付開始
15時30分~ 講座開始
16時 講座終了 ※16時30分開演
■日程:2026年9月20日(月・祝)昼の部
講師:井上尊晶先生(演出)
【スケジュール】
12時15分~ 受付開始・地下食堂【東】にて昼食
13時~ 講座開始
13時30分 講座終了 ※14時開演
【舞台セミナー】1公演
■日程:2026年9月13日(日)14時~ 終演後
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