ノット&東京交響楽団、上り調子のまま「世界」へ

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2016.7.23
ブルックナーの名演でさらに評価の高まったジョナサン・ノット率いる東京交響楽団 (c)K.Miura

ブルックナーの名演でさらに評価の高まったジョナサン・ノット率いる東京交響楽団 (c)K.Miura

ジョナサン・ノットと東京交響楽団による7月の定期演奏会は、先日紹介したとおりブルックナーの交響曲第八番、一曲だけのいわば直球勝負で16日(土)に開催された。コンサートの二日前、いつものようにオーケストラの本拠地ミューザ川崎シンフォニーホールで行われたリハーサルの模様と演奏会について短くレポートしよう。

取材したリハーサルは14日(木)に行われた二日目だ。この日は「1→4→3→2」の楽章順に休憩を挟んで四時間の、長丁場ながら集中した練習が行われた。

現在のノット&東響は、リハーサルで細部まで固めるようなアプローチを取らない(前任のスダーンはむしろ細部までリハーサルで仕上げて、「完成品」にしてコンサートに臨むスタイルだったという)。どんな難曲でも、作品理解や演奏の方向付けの水準でお互いに理解しあって、最終的には舞台で、「生の」音楽を作ろう。そんな相互の理解、信頼あってはじめて試みることができるようなやり方で、いつもノット&東響は演奏会に臨んでいるのだ。

今回は第一楽章こそ相当に時間をかけて細部まで作りこんだけれど、そのやりかたはいつもどおり、これだけの大作でも変わることはない。印象的だった点を各楽章ごとにあげるなら「第一楽章に一時間以上、4月のリゲティ同様に転調を重視して指示を出し、細部の音程まで整えた」「第四楽章はほとんど通しの中で、言葉に依らず指揮だけで音楽の流れを整えた。コーダはこの日練習せず」「第三楽章は圧巻、究極の約20分」「第二楽章はトリオ→主部の順に、ほとんどは言葉での指示」となるだろうか。

リハーサル最終日となるコンサート前日には通しの演奏と若干の手直しのみを行う、とのことだったから、この日のリハーサルの延長線上にコンサートでの演奏も行われることになろう。

ベースラインを常に意識させ(音量の問題ではなく)、ときに退屈だと言われがちな弦楽器の刻みも漫然と弾かせるようなことはない。ブルックナーの音楽が持つ美しさを率直に音にしながらも、どこをとっても新鮮に響く。そんな作品の持つ流れを活かして自然な起伏を作り出していくジョナサン・ノットの楽譜の読みに支えられた、しかし融通無碍なアプローチを方法論的にまとめるのは難しいのだが、これはそれぞれのパートの「歌」を積み重ねて作り上げられた大伽藍の如きブルックナーになるのではないか。

気負いなく、しかし集中してリハーサルは進められた (撮影:筆者 取材協力:東京交響楽団)

気負いなく、しかし集中してリハーサルは進められた (撮影:筆者 取材協力:東京交響楽団)

そんな予感を抱かせた本番の演奏についてはひとこと、圧巻であった。未だ行き先定まらぬ模索をダイナミックな展開で描くかのような第一楽章(ここでのくすんだ音色は後にして思えばフィナーレの伏線だった)、力強い舞曲として、そして”啓示の予兆”として示される第二楽章。そしてこの日の音楽的頂点は第三楽章にあった、と私には思えた。歌を積み重ねて描かれる探求の果て、超越の瞬間に行き着く音楽の自然な呼吸、そしてなにより配慮に満ちた美しさ。

もちろん、それに続いたフィナーレが不出来だったわけではない。第三楽章まではどれだけの大音量でもどこかマイルドに、少し角を落として鳴らしていた金管楽器にソリッドな響きを要求することで、「此処から先はより厳しい、一段上のドラマが始まる」と演奏が始まったその瞬間に伝えてきた瞬間の驚きたるや。音楽の最後の瞬間まで指揮者もオーケストラも、客席も集中力を切らさず音楽に没入したこの日、「ノット&東響のブルックナー」は決して聴き逃せないものとなった。

いや、これまでも当サイトで紹介してきたとおり、ブルックナー以外でもノット&東響の演奏会はどれも聴き逃すには惜しいものばかりだ。まずはこの週末に「フェスタサマーミューザKAWASAKI2016」オープニングコンサートに登場するので、ブルックナーを聴き逃した皆さまもヴィラ=ロボス、アイヴスとベートーヴェンを組合せた実にジョナサン・ノットらしいプログラムを楽しんでほしい。ノット&東響の演奏はブルックナーだけが突然によかったわけではないことは、第三シーズン開幕から取材している私が保証しよう。なに、まだ10年もこの先がある「ノット&東響」を聴き始めるのに遅いということは決してないのだ。

(ノット自身によるプログラム解題は実に興味深い/ミューザ川崎シンフォニーホール 公式YouTubeチャンネルより)

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これほどの名演が成し遂げられてなお、ことし創立70周年を迎えた東京交響楽団の、ジョナサン・ノット音楽監督第三シーズンは今が頂点ではない、まだまだ先がある。9月の前音楽監督ユベール・スダーンとの「ファウストの劫罰」、続いて10月には欧州ツアー、さらに12月にはコンサート形式の「コジ・ファン・トゥッテ」などが待っている。中でも10月の定期演奏会は、今回のブルックナー同様にが完売する可能性も高いのでぜひ今のうちにチェックしていただきたい。が完売してしまってから、聴き逃してから泣いても遅いのである。

記念すべき70周年を飾る数多くの注目の公演がまだまだ用意されている

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五カ国、五つの都市を回る欧州ツアー(ツアーについて詳しくは東京交響楽団の公式サイトでご確認いただきたい)を前に、ノット&東響は10月の定期演奏会をプレコンサートと位置づけ、楽旅で披露する二つのプログラムを日本で演奏する。

まず注目されるのは、イザベル・ファウストをソリストに迎えるコンサートだろう。「音楽の友」誌で”絶対に聴くべきアーティスト”第1位に選ばれた旬のヴァイオリニストの登場は、それだけでもこのコンサートを聴き逃せないものにしてくれる、そこで演奏するのがベートーヴェンときてはあらためて私からどうのこうの言うまでもない。聴くのみだ。

加えてメインには昨年の第一五番の凄絶な演奏も記憶に新しいショスタコーヴィチの、問題作交響曲第一〇番を演奏するのだから、このコンサートが衝撃的なものとなることは疑いようもないところだ。

現代最高のヴァイオリニストの登場は東京交響楽団の70周年に華を添えるだろう

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もう一つのプログラムは、武満徹の出世作にして代表作「弦楽のためのレクイエム」に始まり、ドビュッシーの代表作、そしてブラームスの交響曲第一番と名曲が並ぶ。だがただの名曲プログラムかといえばそうではない、”両端に東西の名曲を配し、その間をつなぐのがドビュッシーの「海」”となればその選曲の意図を読み解かずにはいられない。そのキーは、プログラムの真ん中に置かれたドビュッシー作品にある。

武満作品が日本の、ブラームスがヨーロッパの文化を代表する形で選ばれたのに対し、ドビュッシーが示すものは(ツアーでは訪問しない)フランスの文化ではない。彼の作品の中から、初版のスコアの表紙に葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」をモティーフにしたイラストを使用したほどのジャポネスク、東洋趣味を示したことで知られる「海」があえて選ばれたのは、日本とヨーロッパに橋をかけるためだ。そう、この曲を挟むことで、プログラム全体が象徴的にノット&東京交響楽団の今回のツアーを表すことになるのだ。イギリスのマエストロが率いる日本のオーケストラから、欧州への挨拶としてこれ以上のものが考えられようか。

東響が神奈川県川崎市に本拠を構えていることも考慮した、というのは考えすぎか

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そしてこの二つのプログラムには、東京交響楽団が日本初演したショスタコーヴィチ(1954年)、委嘱・初演した武満作品(1957年、どちらも指揮は東宝交響楽団以来のこのオーケストラの功労者、上田仁)を織り込むことで、ツアーとしてのメッセージと同時にオーケストラ70年の歴史も示されている。いやはや、この目配りの良さには感心させられるばかりだ。

これらのプログラムによる”プレコンサート”は、サントリーホールと東京オペラシティコンサートホール、そしてミューザ川崎シンフォニーホールと新潟のりゅーとぴあ、東京交響楽団がホームとしている各地で開かれる。これまで東京交響楽団を応援してきた皆さまに最高の演奏で挨拶をして、ノット&東響が世界へと雄飛する、その日はもう遠くない。

公演情報
東京交響楽団&ミューザ川崎シンフォニーホール 名曲全集第121回/東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第94回
 
■日時・会場:
・名曲全集 2016年10月8日(土) 14:00開演 ミューザ川崎シンフォニーホール
・オペラシティシリーズ 2016年10月9日(日) 14:00開演 東京オペラシティ コンサートホール
■出演:
・指揮:ジョナサン・ノット
・管弦楽:東京交響楽団
■曲目:
・武満徹:弦楽のためのレクイエム
・ドビュッシー:「海」 ~管弦楽のための三つの交響的素描
・ブラームス:交響曲第一番 ハ短調 Op.68

東京交響楽団 第645回定期演奏会/第98回 新潟定期演奏会

■日時・会場:
・定期演奏会 2016年10月15日(土) 18:00開演 サントリーホール 大ホール
・新潟定期演奏会 2016年10月16日(日) 17:00開演 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
■出演:
・指揮:ジョナサン・ノット
・ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
・管弦楽:東京交響楽団
■曲目:
・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61
・ショスタコーヴィチ:交響曲第一〇番 ホ短調 Op.93

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