「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」 VOL.7 ガーシュウィンの時代

コラム
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映画
2021.1.8
ガーシュウィン兄弟が楽曲を提供したミュージカル映画「踊らん哉」(1937年)、アメリカ公開時のポスター。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャーズ主演   Photo Courtesy of Michael Feinstein

ガーシュウィン兄弟が楽曲を提供したミュージカル映画「踊らん哉」(1937年)、アメリカ公開時のポスター。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャーズ主演   Photo Courtesy of Michael Feinstein

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ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story
☆VOL.7  ガーシュウィンの時代 

文=中島薫(音楽評論家)text by Kaoru Nakajima

 

 2021年1月9日に、東京国際フォーラム ホールCで幕を開けた、宝塚歌劇団・花組公演『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』。全編を彩るは、ガーシュウィン兄弟よる名曲陣だ。今回はブロードウェイのみならず、アメリカの音楽史に多大なる貢献を果たした彼らを特集しよう。 

ジョージ・ガーシュウィン(左)と兄のアイラ・ガーシュウィン(1928年撮影)  Photo Courtesy of Michael Feinstein

ジョージ・ガーシュウィン(左)と兄のアイラ・ガーシュウィン(1928年撮影)  Photo Courtesy of Michael Feinstein

 

■移民の街NYで育まれたリズム

 『NICE WORK~』の他にも、劇団四季が翻訳上演した『クレイジー・フォー・ユー』(1992年)や『パリのアメリカ人』(2015年)も、同様にガーシュウィン兄弟の既成曲がふんだんに使われていた。これらの作品で大きくフィーチャーされた〈アイ・ガット・リズム〉や〈ス・ワンダフル〉などのスタンダード・ナンバーは、誰もが一度は耳にしているだろう。

ガーシュウィン・ミュージックの楽しさを再認識させた、『クレイジー・フォー・ユー』(1992年)のオリジナル・キャストCD(輸入盤)

ガーシュウィン・ミュージックの楽しさを再認識させた、『クレイジー・フォー・ユー』(1992年)のオリジナル・キャストCD(輸入盤)


 

 作曲はジョージ・ガーシュウィン(1898~1937年)、そして作詞が兄のアイラ・ガーシュウィン(1896~1983年)。1937年に、38歳の若さで急逝したジョージを兄と勘違いしている人が多いが、アイラが年長だ。ミュージカルに留まらず、クラシックとジャズを融合させた交響楽『ラプソディ・イン・ブルー』(1924年)や、黒人オペラ『ポーギーとベス』(1935年)に挑戦し、作曲家として華やかに活躍したジョージ。一方、シャイで内向的だったのがアイラだ。だがジョージの才能を誰よりも正当に評価し、彼の旋律に詞を託したのが兄だった。

マイケル・ファインスタイン  Photo Courtesy of Michael Feinstein

マイケル・ファインスタイン  Photo Courtesy of Michael Feinstein


 

 晩年のアイラの許で、アシスタントを務めたのが歌手のマイケル・ファインスタイン。ガーシュウィン兄弟研究の第一人者で知られ、彼らの楽曲の素晴らしさを次の世代に伝えるべくレコーディングやコンサートで歌い継いでいる。 

 まずガーシュウィンと言えば、ジョージが生みだした色彩豊かな音色とダイナミックな躍動感だ。VOL.6で紹介したアル・ジョルスンが歌い、ジョージ初のヒット曲となった〈スワニー〉(作詞はアーヴィング・シーザー)や前述の〈アイ・ガット・リズム〉など、聴くたびに心弾むナンバーが多い。ファインスタインは、ジョージによる旋律の特色をこう解説する。

「兄弟の父親は、帝政ロシアからNYへと亡命したユダヤ系移民。2人が少年期を過ごした20世紀初頭のNYは、移民の音楽に溢れていた。物静かだったアイラとは対照的に、ジョージは活発でね。街中を遊び廻っては、ユダヤの民族音楽はもちろん、ハーレムで聴いたジャズや、アコーディオンが奏でるアイルランド民謡など、新天地で働く移民たちのエネルギーに満ちた音楽や文化を吸収し、それを血肉とした。それが彼の音楽的基盤となったんだ」

ファインスタインが、1996年に発表したガーシュウィン歌曲集「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」(輸入盤で入手可)

ファインスタインが、1996年に発表したガーシュウィン歌曲集「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」(輸入盤で入手可)


 

■メロディー先行のコラボレーション

 曲が先か詞が先か。ソングライター・チームなら必ず一度は受ける質問だ。ガーシュウィン兄弟の場合は、どうだったのだろう。ファインスタインは続ける。

「アイラによると、彼らの楽曲の70~80%は曲先行だったそうだ。まずミュージカルの場合は、どのシチュエーションでどんなタイプの歌を入れるかを、2人でアイデアを交わしながら相談する。仕事が早いジョージは、さっそく作業に取り掛かり、たちまちメロディーを仕上げてしまう。アイラは、天才肌だった弟を常に絶賛していたよ。一方、兄は熟考型だった。一曲につき、数週間掛かる事もあったらしい。僕はアイラと出会うまで、作詞家があれほど手間暇を掛けて仕事するとは知らなかった。彼は、友人同士の何気ない会話のように、自然に言葉が観客の耳に届くよう推敲を重ね、何度も書き直しながら歌詞を磨き上げたと言っていたよ」

ピアノを演奏するジョージの手  Photo Courtesy of Michael Feinstein

ピアノを演奏するジョージの手  Photo Courtesy of Michael Feinstein


 

 ブロードウェイでは、『オー・ケイ!』(1926年)や『ガール・クレイジー』(1930年)など単純明快なミュージカル・コメディーから、『汝がために我歌わん』(1931年)のような政治風刺モノまで立て続けにヒット作を連発。アップテンポの賑やかなナンバーだけでなく、〈サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー〉や〈バット・ノット・フォー・ミー〉など、兄弟の瑞々しい感性が息づく珠玉のバラードも好評を得た。

 

■ガーシュウィン・イン・ハリウッド

 ハリウッドでも活躍したガーシュウィン兄弟。彼らが書き下ろした楽曲をふんだんに使ったミュージカル映画の白眉が、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャーズ主演の「踊らん哉」(1937年)だ。アステアが歌い、スタンダードとなった究極のバラード〈誰にも奪えぬこの想い〉は本作から生まれた。他にも彼が、噴射するスチームの音に合わせ神業的タップを披露する〈スラップ・ザット・ベース〉や、ラストを賑やかに飾る〈シャル・ウィ・ダンス〉など、とにかく好ナンバー揃いで堪能出来る。歌詞を明瞭に発音し、多くのソングライターから愛されたアステア。ガーシュウィン兄弟も、彼のヴォーカルを高く評価していた。

「踊らん哉」(1937年)のブルーレイは、アイ・ヴィー・シーよりリリース。

「踊らん哉」(1937年)のブルーレイは、アイ・ヴィー・シーよりリリース。


 

 ジョージの死後に製作された伝記映画が「アメリカ交響楽」(1947年)で、その短い生涯を比較的忠実に描いている。特筆すべきは、アル・ジョルスンやピアニストのオスカー・レヴァントら、彼の人生に大きく関わった、当時御存命の関係者が出演している事。彼らの歌や演奏が、作品に厚みを加えている。映画中盤とラストで演奏される、壮大な「ラプソディ・イン・ブルー」は美しい事この上なし。DVDはワンコインの廉価版で入手可能だ。

「アメリカ交響楽」(1947年)の予告編より、ピアニストのオスカー・レヴァント。彼は、続いて紹介する「巴里のアメリカ人」(1951年)にも出演している。

「アメリカ交響楽」(1947年)の予告編より、ピアニストのオスカー・レヴァント。彼は、続いて紹介する「巴里のアメリカ人」(1951年)にも出演している。


 

 都会の喧騒と孤独を活写した、この傑作シンフォニーを効果的に使った映画が、ジャズ通で知られるウディ・アレン監督&主演の「マンハッタン」(1979年)だ。この曲のみならず、全編に流れるのがガーシュウィン・ナンバー。ズービン・メータ指揮による、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏が抜群だ(サントラ盤は、ソニーミュージックよりリリース)。

特典満載のブルーレイ版「巴里のアメリカ人」。ワーナー・ホーム・ビデオよりリリース。

特典満載のブルーレイ版「巴里のアメリカ人」。ワーナー・ホーム・ビデオよりリリース。

 

■ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ

 ガーシュウィン兄弟の既成曲で構成されたミュージカル映画では、「巴里のアメリカ人」(1951年)が必見。映画ラストで、ジョージが1928年に発表した交響曲〈パリのアメリカ人〉に乗せて、主演のジーン・ケリーとレスリー・キャロンが展開するモダン・バレエが圧巻だ。ルノワールやロートレックの絵画をモチーフにした、極彩色のセットと衣装に目を奪われる。そして、セーヌ河畔でケリーが歌い、キャロンとロマンチックに踊るナンバーが〈わが恋はここに〉。実はこれが、兄弟が共作した最後の楽曲となった。再びファインスタインの証言。

「元々あの曲は、『ゴールドウィン・フォリーズ』(1938年)という映画のために書かれたんだ。ところがジョージは、譜面を仕上げる前に、脳腫瘍で突然亡くなってしまった。ただジョージがそのメロディーを弾くのを、友人のオスカー・レヴァントが憶えていてね。彼の記憶を頼りに完成させ、その後アイラが詞を付けた。彼は、私的な感情を歌詞で表す事はなかったけれど、あの歌だけは例外だよ。『たとえ山脈や海峡が崩れ落ちようとも、僕たちの愛はこのまま。永遠に変わりはしない』というフレーズには、ジョージへの敬愛の情が溢れているんだ」

 次回VOL.8も、引き続きガーシュウィンだ。文中でも触れた、黒人キャストのフォーク・オペラ『ポーギーとベス』を取り上げよう。

「巴里のアメリカ人」の一場面。ジーン・ケリー(右)とレスリー・キャロン

「巴里のアメリカ人」の一場面。ジーン・ケリー(右)とレスリー・キャロン

 

文=中島薫

「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」連載一覧

■VOL.1 ヴォードヴィルについて https://spice.eplus.jp/articles/272803
■VOL.2 レヴューの帝王とオペレッタ https://spice.eplus.jp/articles/272837
■VOL.3 始まりは『ショウ・ボート』 https://spice.eplus.jp/articles/273021
■番外編 『ハウ・トゥー・サクシード』 https://spice.eplus.jp/articles/273692
■VOL.4 〈ホワイト・クリスマス〉を創った男(Part 1)https://spice.eplus.jp/articles/277083
■VOL.5 〈ホワイト・クリスマス〉を創った男(Part 2)https://spice.eplus.jp/articles/277297
■番外編 『23階の笑い』https://spice.eplus.jp/articles/278054
■VOL.6 クセがすごい伝説のエンタテイナーの話 https://spice.eplus.jp/articles/277650
■VOL.7 ガーシュインの時代 
https://spice.eplus.jp/articles/279332
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