ドキュメンタリー映画の秀作『屋根の上のバイオリン弾き物語』~「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」番外編
映画「屋根の上のバイオリン弾き」(1971年)から、〈もし金持ちなら〉を歌うテヴィエ役のトポル ©2022 Adama Films, LLC
ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]
ドキュメンタリー映画の秀作『屋根の上のバイオリン弾き物語』
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
ブロードウェイでは、ジェローム・ロビンスの振付・演出で1964年に初演され、続演3,242回の大ロングランを記録した不朽の名作ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』。1971年には映画化され、作品の知名度を更に高めた(映画版のタイトル表記は「バイオリン弾き」)。映画公開から半世紀以上を経た2022年に、そのメイキングを綴るドキュメンタリーが完成。日本でも『屋根の上のバイオリン弾き物語』のタイトルで、今年(2023年)の3月31日(金)に公開される。早速見どころに迫ろう(上映情報は下記参照)。
映画日本初公開時のチラシ。どこか「風と共に去りぬ」的なビジュアルだ。
■現存のスタッフとキャストが語り尽くすエピソード
日本でも翻訳上演でおなじみだが、粗筋を簡単に記そう。舞台は、帝政ロシア時代の寒村アナテフカ。そこで伝統を重んじ5人の娘たちと質素に暮らす、善良なユダヤ人の酪農家テヴィエが主人公だ。やがて年長の娘3人は、古い因習に縛られず自分が愛した相手と結ばれる。そこへ迫り来るロシア人によるユダヤ人迫害。村人たちは、愛する故郷を去る決意をした……。
映画監督ノーマン・ジュイソン ©2022 Adama Films, LLC
『屋根の上のバイオリン弾き物語』(以下「屋根バイ」)は、舞台で絶賛を浴びた傑作をスクリーンで蘇らせるために、監督を始めスタッフとキャストが、いかに衆知を結集し、努力を重ねたかが語られており興味は尽きない。インタビューに応じるのは、監督のノーマン・ジュイソン、音楽監督・編曲を担当したジョン・ウィリアムズ、テヴィエ役のトポルと3人の娘を演じた女優、さらにプロダクション・デザイナーのロバート・ボイルら。飄々とした語り口が楽しいジュイソン、温厚な人柄が滲むウィリアムズ、トポルと娘たちも好もしいパーソナリティーを発揮しており、思わず彼らのトークに引き込まれた。監督は、「ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー」(2015年)のダニエル・レイム。
■テヴィエ役が決定するまで
「屋根バイ」では、まずジュイソンのキャリアが紹介される。黒人刑事と白人警官の確執を軸に、差別問題を活写した「夜の大捜査線」(1967年)で評価を得た彼は、TVのディレクター出身。ハリー・ベラフォンテやジュディ・ガーランドのTVスペシャルを手掛け、音楽を熟知している上に、カメラ移動やカット割りのタイミングなど「歌を見せる」テクニックに長けていた。作品のテーマを深く理解するのはもちろん、ミュージカルの演出にも適任だった事が分かる(ジュイソンは1973年に、「ジーザス・クライスト=スーパースター」も監督)。
そして当時のハリウッドで話題を呼んだのが、誰が主役のテヴィエを演じるか。ブロードウェイ初演のテヴィエは、映画「プロデューサーズ」(1968年)などで主演した怪優ゼロ・モステルだった。しかし、スクリーンでリアリティーを感じさせる父親像を造形するには、あまりにもアクの強い芸風で浮いてしまう。ジュイソンによると、コメディアンのダニイ・ケイ(ユダヤ系)や、何とフランク・シナトラ(イタリア系)のマネージャーも打診してきたとの事(シナトラ扮する、ダンディーなテヴィエも見てみたかったが)。
ブロードウェイ初演(1964年)で、テヴィエを演じたゼロ・モステル
「屋根バイ」にも登場する、舞台の主要クリエイターの中で、唯一御存命の作詞家シェルダン・ハーニック(今年99歳)に、私は何度も取材する機会に恵まれた。彼によると、ケイはブロードウェイ版でもテヴィエ役の候補に挙がったものの、座付き作家を兼ねる彼の妻に、「ダニイは、5人の娘を持つ父親を演じるほど老いてはおりません」と断られたらしい。「その後舞台が大当たりしたので、気が変わったのでしょう」と笑っていた。
作詞家シェルダン・ハーニック Photo by Margery Gray Harnick
自薦他薦が飛び交った後にテヴィエ役を獲得したのが、イスラエル出身のユダヤ系俳優トポル。1967年のロンドン初演を皮切りに、1990年の来日公演や同年のブロードウェイ再演でも主演し、今なお「最高のテヴィエ役者」の呼び声が高い。映画公開時は36歳の若さだったが、ロンドン公演を観たジュイソンが、「嘘のない真摯な演技に感じ入った。彼なら、あらゆる国の観客にアピールする、ユダヤ人の誇りと逞しい父親像を体現できると思ったよ」と振り返るように、見事な演技を披露した(ジュイソンに、トポルを推薦したのはハーニックだった)。
演出中のジュイソンと、彼の指示を聞くトポル ©2022 Adama Films, LLC
■「泣いていませんね。なぜ?」
長女ツァイテル役のロザリンド・ハリス ©2022 Adama Films, LLC
次いで、長女ツァイテルを演じた、バーブラ・ストライザンド似のロザリンド・ハリスを始め、娘役の女優が役を獲得するエピソードをユーモアを交え披露。音楽監督・編曲のウィリアムズが、舞台と違いリアルさを求められる映画では、プロ歌手のように上手く歌わずに、いかにも村の娘が口ずさんでいるようなナチュラルな歌唱を指導したと、「ミュージカル映画の鉄則」を説く。「ジョーズ」(1975年)や「スター・ウォーズ」シリーズ(1977~2019年)の大ヒットで、映画音楽の大巨匠となった彼は、スタジオ・ミュージシャン出身(ピアニスト)。名作「ウエスト・サイド物語」(1961年)のサウンドトラックでもピアノを弾いていた。
音楽監督&作曲・編曲家ジョン・ウィリアムズ ©2022 Adama Films, LLC
ジュイソンが、「自分の監督作で最も気に入っているシーン」と語るのが、ツァイテルの結婚式だ。確かに、夕闇の中をキャンドルを手に、式場に向かう参列者たちを捉えたショットから息を呑むほどの美しさで、ここで流れるのが、子供を嫁がせる親の心情を綴るセンチメンタルなバラード〈サンライズ・サンセット〉(作曲はジェリー・ボック)。「屋根バイ」では、作詞家ハーニックが思い入れたっぷりにワンコーラス歌った後、撮影スタッフを見て「泣いていませんね。なぜ?」と尋ねるオチがつく。また作品のトーンを統一するため、装置デザインは渋い茶系統が基本。撮影時には、くすんだ色調を出すべく、女性用ストッキングをカメラのレンズに被せたなど、スタッフの目に見えぬ尽力が明らかになる。
■万人の心に訴え掛ける普遍性
他にもジュイソンは、映画のタイトルバックと劇中の随所に現れ、不安定な生活の中で均衡を保つユダヤ人を象徴するバイオリン弾きの演奏に、世界的奏者アイザック・スターンを起用。交渉の際彼に、「屋根の上に登って弾くのは無理ですよ」と断られそうになった話など楽しいエピソードが満載だが、作品の後半では、今なお脈々と続く人種の分断が語られる。
アイザック・スターンのバイオリン演奏が流れる映画のタイトルバック ©2022 Adama Films, LLC
舞台版がロングランを続け、映画が製作を開始した1960年代のアメリカは激動の時代。黒人差別撤廃を謳う公民権運動が活発になる一方、白人至上主義者による暴行が激化。実際にポグロム(ユダヤ人虐待)で祖先を失ったトポルや、若い頃に黒人差別を目の当たりにしたジュイソンは、人種間の軋轢はアナテフカの村だけではなく、自分たちの身の回りで現実に起きている出来事として捉え、世界中で上演を繰り返す作品の普遍性を強調するのだ(ここで、1967年の日本初演でテヴィエを演じた森繁久彌の写真も紹介される)。
本邦初演でテヴィエを演じた森繁久彌の舞台は、後にライヴ盤もリリースされた。
そして「屋根バイ」を御覧になった方はもれなく、現在ブルーレイで入手出来る本編を観たくなるだろう。3時間の大作だが、舞台を忠実に映画化しており(脚本は舞台版と同じジョセフ・スタイン)、ジュイソンの映像処理が抜群の効果を上げている。例えば冒頭で、ユダヤ人の暮らしぶりを紹介する〈伝統の歌〉だ。舞台版では村人たちが、様式美を感じさせるジェローム・ロビンス振付の群舞で展開するが、映画では父親や母親が働く姿など生活のスケッチを、カットを重ねながらテンポ良く見せ、映像ならではのダイナミズムを生み出した。ウィリアムズ指揮の大オーケストラが奏でる、重厚かつ荘厳なサウンドも圧巻。必見だ。
ブルーレイは、20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント ジャパンよりリリース
上映情報
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